砂川闘争の現地を歩く2018 「国営昭和記念公園」を歩く

砂川闘争の現地を歩く2018
「国営昭和記念公園」を歩く
 砂川闘争をきっかけに、米軍立川基地が全面返還されたのは1977年。
その跡地に広大な面積を誇る昭和記念公園が造られた。これは砂川
闘争のもたらした「光」にも見える。一方で沖縄は全土が基地化してゆき、
横田基地では大規模の拡張が行われ、冷戦時代には「核戦争3分 前」の
危機に陥っていたことを忘れまい。今や事故多発のオスプレーが東京の
空を日常的に飛び交い、公園のすぐ隣の自衛隊駐屯地に飛来するのも
時間の問題。砂川闘争の「光」は未だ闇の中に埋もれている・・・。
本企画は、旧陸軍時代と米軍時代の航空写真を、現在の公園に重ね
合わせた地図を辿って、かつての知られざる基地の歴史に触れるツ
アーである。大地と基地の記憶を刻む地図を片手に、「異空間」として
の昭和記念公園を体験してみてはいかがだろうか。

2018年5月19日(土)10:00~15:00
集合場所/昭和記念公園砂川口(10:00)
参加費/500円(資料代/但し入園料は別)申し込み不要
○交通: JR立川駅北口 ②番バス乗り場乗車 昭和記念公園砂川口下車
(立川口、昭島口、玉川上水口から公園内を歩いて来ることも可能)

主催/砂川平和ひろば「砂川の大地からとどけ平和の声」実行委員会
問い合わせ:砂川平和ひろば 042-536-3167(宮岡)

〇旅の構成
米軍立川基地時代(1945~1977)
米軍立川基地は終戦から1977年 まで、アメリカにおける極東アジアの
軍事戦略拠点として運用された。この30年間余りの間に実在していた
米軍基地跡を辿りながら、当時の軍事施設をはじめ、米軍とその 家族、
基地の中と外で働く人々などの生活像に触れる。
砂川闘争の頃
1955年5月、米軍立川基地の滑 走路拡張に反対する住民運動として
始まったのが砂川闘争である。 砂川闘争はアメリカによる朝鮮戦 争
からベトナム戦争への移行期に 起こった市民平和運動で、その頃 の
基地を取り巻く国内外の情勢や 住民の生活像について触れる。
旧日本陸軍時代(1921~1945)
立川基地の始まりは、帝都防衛 構想の一環として岐阜から日本陸 軍
の第5飛行大隊が移住した1921 (大正10)年にはじまる。軍国化を 進め
る昭和に入ると、飛行場を中 心に多くの軍事研究施設や武器製 造工場
などが次々と増殖していく。 戦前の米軍による空爆の様子を交えながら
当時の施設を概観する。

○旅のルート
昭和記念公園砂川口⇒ こもれびの里⇒ みんなの原っぱ⇒ 残堀川やまぶき橋・
一本 煙突⇒ こどもの森・三本煙突跡 ⇒こもれびの丘

○本企画にあたって
大正10年(1921)から現在に至るまで、凡そ100年間にわたって軍事基地が
運用されて いる立川。しかし、この基地の歴史を直に語る遺跡・遺構は殆ど
「破壊」されつつある。 「負の歴史」に蓋をするのではなく、真正面から向き
合うことは次世代のための責務で ある。昭和記念公園の隣に残る基地の
遺構を、市民の力で「廃墟」から「遺跡」に変えられないだろうか。基地遺跡を
保存し、活用することの意義と社会的な効果は極めて大きい。

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