5月の予定

5月の予定

5月  3日(水)   都合により休館
     6日(土)   未定
    10日(水)   おしゃべり広場
    13日(土)    おしゃべり広場
    17日(水)   おしゃべり広場
    20日(土)   おしゃべり広場
    21日(日)   砂川闘争の現地を歩く2017開催 10:00~14:30砂川学習館集合
    24日(水)   おしゃべり広場
    27日(土)   おしゃべり広場 都合により休館
    31日(水)   おしゃべり広場
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憲法施行70年にあたって

新憲法をもとに
父宮岡政雄と砂川闘争の背景 

 砂川闘争が始まる前の拡張予定地は次のような状況の下に生活をしていた。
①砂川は戦前から陸軍の軍需施設に囲まれた地域であり、拡張予定地の人々は、戦前から陸軍の基地に接し幾度となく陸軍基 地の拡張のために戦前の法の下に土地を接収された経験をもつ。
②軍需施設に囲まれ、戦前戦中軍人を目にすることが多かった住民は、軍人の上限関係等の不条理な場面を目する機会があった。
③戦中は軍需施設に囲まれ、基地を目前にし、空襲の恐怖にさらされ、実際焼夷弾の被害を受けた。
④戦後すぐに陸軍基地に米軍が進駐し、基地を拡張拡充する一方、日常的に米軍を目の当たりにする恐怖を感じていた。
⑤米軍立川基地となり、大型軍用機が飛来し、戦前の陸軍基地とは格段に違う基地となった。
⑥朝鮮戦争では重要な基地となり、軍用機は24時間離発着し、戦地と直結する下での生活が続いた。

 上記のような経緯の中で、拡張予定地に住む人々に取って、基地は常に戦争に直結し戦争の道具あると感じることに不思議はなかった。

 砂川闘争が始まると同時に、六法全書を購入した父宮岡政雄の行為は、戦後の憲法(父はこれを新憲法といっていた)が、平和的生存権をうたい、基本的人権と憲法9条による戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を認めていることで、基地拡張に反対する十分なりうると考えた。
 基地拡張計画を初めて聞き、最初の説明会の集まりに五番組の公会堂に向かう時、父の決意は決まっていました。新憲法の平和的生存権の下に、今は主権在民である、主権が国民にあることは、戦前と大いに違う。その思いは、「たった一人になっても最後まで戦う、結果土地を奪われることがあったとしても‥‥」との考えに至る。
 この背景には、決して単に先祖からの土地を守りたいとの考えだけではなく、軍事基地に土地を奪われたくない平和的生存権の下での主権者としての主張であった。

 父は反対同盟員に、よく裁判の報告や法的なお話をする機会が多かった。「宮岡の話は、法律の話で難しい」と言われながらも、反対同盟の人々も、基地闘争が、単なる土地を守る闘いではなく、平和を守る闘いであることを容易に受け入れていた。というよりも各々戦争に反対する、平和を守る闘いとして自覚していた。
 それは、労働組合や他団体から導入されたものではない、上記①~⑥に至る経緯の中での日常生活をしていた人々が、自然に持った感情であった。
 赤旗を掲げることや、スクラムを組むこと、デモをすることなどは、労働組合などの方法を取り入れて戦われたものであったが、住民運動だけではない市民運動としての闘いの展開を繰り広げていったことは、法律的に難しいことであっても戦前戦後の体験の中から、各々が感じ取っていったことであり実践していくことに何の困難もなかった。

 約130戸の地権者が、たった23戸になってしまった。当時の防衛施設庁が法外な値段で買収し続け、町は一変していった。激突の後、支援者の数も劇的に減り、静まり返った砂川で、60年代になっても買収は続けられていた。そんな中でも、最後まで残った23戸は、固い信頼関係を持って日常生活を送り、闘いを続けた。

 それは常に個々の人間を尊重した闘いであった。父は条件派として移転していく人々を非難したことは無い。それは、それぞれの家庭に取ってそれぞれの都合がある、その中で判断されたことであるので、それを非難することはできないとの考えを常に持っていた。さすがに昨日まで共に闘ってきた方が、移転されることには寂しさはあった。しかしそれも個人が判断されたこととして受け入れていた。 反対同盟の人が、集会に参加されるかどうかもそれぞれの判断、それぞれの都合であることを尊重し、拡張予定地に住み続けていることが、共通する意思であり反対の意思であると考えていた。
 様々な支援団体や個人については、常に反対同盟を主体に置き「来るものは拒まず、去るものは追わず」との対応をしていた。

 父が1982年(亡くなった年)を迎える年の暮れ父は私に「来年のテーマが決まったよ。それは『限りない人間性の尊重』だ。」と言った。そしてこう続けた。「これなら、人間の永遠のテーマでしょ」と。

 父の心掛けた闘いは、一人ひとりを尊重した闘いだった。そして父の目指した平和的生存権の下の「憲法9条」を守ることは、「一人ひとりの人間を尊重する世の中」であることだった。
 なぜなら、「一人ひとりの人間が尊重されない極限は、戦争である」から。


 その憲法9条が、憲法施行70年の今、北朝鮮や中国の脅威の名の下に、軍備による抑止力を唱え、「戦力の不保持」が揺らぎ、砂川判決を曲解した上、根拠として成立させた集団的自衛権により「交戦権の否認」が危ぶまれている
 そして今、その実績作りが積み重ねられている。自衛隊の護衛艦「いずもは」実質「警護」であるにもかかわらず「武器等防護」
【自衛隊法9条の2】(2015年に成立した安全保障関連法で新設)の法を掲げ「米艦防護」として出航している。
 また、日米安保条約の下に駐留する米軍横田基地へは、朝鮮半島に飛来する、大型無人偵察機「グローバルホーク」が配備され
東京の空に爆音を轟かせている。
 憲法9条が危ぶまれるとき、基本的人権、国民主権が危ぶまれている。
憲法施行70年、平和的生存権の下、私たちは今こそ「一人ひとりが尊重される世の中」を築き上げていきたい。
2017.5.3


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