6月の予定

6月 1日(土) 臨時休館
   6日(水)13:00~16:30 おしゃべり広場
   8日(土)13:00~16:30 おしゃべり広場
  12日(水)13:00~16:30 おしゃべり広場
  19日(水)13:00~16:30 おしゃべり広場
  26日(水)13:00~16:30 おしゃべり広場


 ※ 上記のように予定しております。
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5.3憲法記念日によせて

 5月3日(金)憲法記念日に、平和を考える集い〝砂川闘争から学ぶこと〟を開催いたしました。
砂川闘争は、国民主権のもとに闘いが展開されていきました。

 父宮岡政雄は1955年5月4日、基地が拡張されるという話を聞き、その晩関係者の集会が開かれると連絡を受けた。大変なショックの中、『生活の基盤を根底から奪われ、移転をしなければならなくなることは、拡張予定の内容を聞かないうちからはっきりしていた。基地から最も近い地点に住んでいたからである。』(注)そしてまず考えたことは『他人がどんな意見をもたれても、自分はこの計画に反対する。たとえ結果として土地が無償で取り上げられたとしても、先祖伝来の土地を守るために努力して失った場合には、350年も守られてきた私の先祖にも申し訳がたつ。世の中には努力を怠って土地や屋敷を失っていく人もある。失うまいとして力を尽くした結果、失わなければならなかったということなら、先祖も認めてくれることであろう…と、……それ以外はこの連絡を受けても頭に浮かばなかった。
次に考えたことは、1941年(昭和16年)の日本陸軍が拡張をした当時のことであった。土地の取り上げや家の移転を含むこの問題では、すべてが個人の運命に関わる問題であって、最終的には個別の問題である。個別の問題であるから、このことだけは他人におまかせすることはできない、と決心した。
 次に拡張に反対するということをどのように行っていくのかと自分に問いつめた時に、戦後の社会では「国民が主権者である」という原点に立って世論を喚起することでアメリカの支配である体制に向かい合うことだ、と頭に浮かんできた。こうしたものが、畑で麦の手入れをしていて、家族から知らせを受けた時、同時に考えられたものであった。この瞬間も、ものの数分も要したわけでなく、そうと決意して夕方まで野良仕事をして、夜の地域の会合にのぞみ、その時から私の闘争ははじまった。それは土地を守り、移転に反対することであった。』(注)
 そしてその晩は、全員が基地拡張計画に反対しようということが簡単に決められた。父はその時『中央の政治が何をしてこようと、その地域住民の意思は尊重されるべきなのが民主主義であることを強く訴えた』(注)のです。

              (注)「砂川闘争の記録」宮岡政雄著 お茶ノ水書房 2005年再刊P50~P52より抜粋

 砂川闘争は国民主権、そしてその権利を最大に奪う戦争を放棄する憲法9条のもとに「平和に生きる権利」を守る戦後の憲法によって支えられ、勝利を勝ち取りました。

 砂川闘争の根幹となった憲法を、「1票の格差」が違憲であると判決が下された政権において、改憲しようとする動きが高まっています。
 安倍政権は96条そして9条への改憲の布石を敷こうとしています。
 砂川闘争で、「米軍の駐留は戦力の保持を禁じた憲法9条に違反する」とした伊達判決を覆した最高裁田中耕太郎長官は、米首席公使との会談において、全員一致で一審判決を取り消すことを示唆していました。この時の、総理大臣岸信介こそ、現政権安倍首相の祖父なのです。
 私たちは今こそ、改憲の動きを止めるため、伊達判決を導き出した世論を今再び呼び起さなければならないものと思います。
憲法記念日を機に、砂川闘争からもう一度学びましょう。
          

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                      砂川闘争が始まった年(1955年昭和30年)
                      宮岡政雄が購入した「六法全書」

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